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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)6006号 判決 1965年3月24日

原告 安藤萠生 外一名

被告 東京都 外一名

主文

被告東京都は、原告安藤に対し金一、〇〇〇円及びこれに対する昭和三七年九月二日以降右完済に至るまで年五分の金員を支払え。

原告安藤の被告東京都に対するその余の請求を棄却する。

原告らの被告尾崎に対する請求及び原告山田の被告東京都に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、被告尾崎に生じた分は全部原告らの負担とし、原告安藤に生じた分は、これを四分し、その一を被告東京都の負担とし、被告東京都に生じた分はこれを二分し、その一を原告山田の負担とし、その余の費用は、各自の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、事実関係

当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一号証、乙第一、第二号証、証人奥山恒弘、同加藤正夫の各証言及び原告安藤萠生、同山田善二郎、被告尾崎利一各本人尋問の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、本件書籍の差入れが拒否されるに至るまでの経緯は次のとおりである。すなわち、原告安藤は昭和三七年七月一日頃公職選挙法違反被疑事件の被疑者として本富士警察署に逮捕され、同月二日から同月一〇日午後五時四五分まで警視庁留置場に勾留されていたが、この間、東京地方裁判所裁判官から接見、交通を禁止されていた。同原告は文京区の民主商工会に属し、同会が原告山田の所属する国民救援会と思想的に共通の立場にあるところから国民救援会において、原告安藤のため差入れ等をすることになり、原告山田において、同月九日本件書籍を原告安藤に差し入れるため、裁判官の差入許可決定を得て、同月一〇日午前一一時頃代理人訴外奥山恒弘に警視庁にこれを持参させた。警視庁においては、看守係りの訴外加藤正夫が奥山から本件書籍と裁判官の差入許可決定書の謄本を受けとり、この書籍が許可のあつた書籍であることを確認した上、その内容を検討したが、加藤としては右書籍の中に、著者である村上国治が苫小牧警察署の留置場において食事改善要求のためハンストをしたとか、衛生を売物にする警察が非衛生的な生煮えの魚を何回も食わせたなど被告らの指摘するような記載があつたため、差入れを許すことによりこのような個所が留置人の目にふれると、一般に食事のことに関しては敏感な留置人が集団的なハンストを行なつたり、その他留置場の管理上不隠な事態が生ずるかも知れないと考え、奥山に対し、本件書籍は都合が悪いからほかの本と替えてもらいたい旨告げたところ、奥山は原告山田から依頼され、かつ、裁判官の差入許可のあつた書籍なのに差入れが許されないことに非常に疑問を抱いて、そこで両名の間に数分間のやりとりがあつた。加藤は奥山が容易に持ち帰ることを納得しないので、さらに、看守係長である被告尾崎のところに右の書籍を持参して同被告の意見をも求めたが同被告も加藤と同意見であつたので再び奥山に対してこれを持ち帰るよう説得したが、奥山は承知しなかつた。そこで代わつて同被告においてなお奥山に対し、重ねて差入れを許すわけにはいかない旨を説明し、持ち帰ることを求めたが遂に肯んじないので同被告も語気を荒くして、問題の書籍と差入許可決定の謄本を待合室の長椅子の上に置いて部屋に戻つた。以上の事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

二、原告安藤に対する不法行為の成否について

原告は、問題の書籍の差入れが裁判官によつて勾留の目的に反しないものとして許可された以上、留置場の管理者において重ねてこの差入れの許否を決する裁量の余地はなく、差入れを拒否することは違法であると主張するが、裁判官の許可は、刑事訴訟法第八一条に基づく一般的な接見交通の制限を、本件書籍の差入れに関するかぎり解除したというにとどまり、その結果、同法第八〇条の原則に立ち戻るに過ぎないものであるから裁判官の許可があることによつて、当然に、差入れを拒否できないこととなるものとする原告の主張は採用できない。

そこで、問題は、留置場の管理者において、同法第八〇条にいう「法令の範囲内」の制限として、本件書籍の差入れを拒否することが許されるかどうかということにあることとなるが右にいう「法令の範囲内」の制限とは、勾留目的(逃亡と罰証の隠滅の防止)から当然に生ずる被疑者の自由の制約を含むほか、支書(書籍)についていえば、監獄法施行規則(以下規則という。)第一四二条、第一四三条による制限がこれに当たるところ、本件においては、問題の書籍については、裁判官の許可によつて、その差入れが勾留目的に反するものでないことがすでに判断されているのであるから、許可後に書込みが行なわれ文書の同一性が失なわれたというような特段の事情がある場合を除き、逃亡ないし罪証の隠滅を防止する必要があるとの理由によつては、もはや、差入れを拒むことは許されないものと解すべきであり、被告らの主張によつても、本件書籍は、規則第一四二条にいう「監獄の紀律を害す可き」文書に当たり、仮りにこれに当たらないとしても、規則第一四三条にいう「有益と認むる文書」に該当しないが故にその差入れが拒否されたものであるというのであるから、本件の問題は、もつぱら、規則第一四二条、第一四三条により本件書籍の差入れを拒否することが許されるかどうかということとなる。(規則第一四三条は、直接には、受刑者についての規定であるが、刑事被告人についてもその適用があることは規則第一四四条により明らかであるから、監獄法第九条により、結局、勾留中の被疑者についてもその準用があることとなる。)

なお、原告は、本件書籍は信書と同視さるべきものであるとし、信書の発受については、監獄法は受刑者についてのみこれを制限していること(同法第四七条第一項)を根拠として、本件書籍の差入れを拒否することは許されないと主張するが、監獄法は文書と信書を区別して規定しており、本件書籍が信書でないことも明らかであるから、この点に関する原告の主張は採用できない。

よつて、進んで本件書籍を監獄(留置場)の規律を害す可き文書として、その差入れを拒否することができるかどうかにつき考えてみるに、勾留の本来の目的は、前述のように逃亡と罪証の隠滅とを防止することにあるが、施設としての監獄は、一般社会から隔離された場所であり、そこに収容される被拘禁者は、社会のあらゆる階層の者を含み、犯罪の嫌疑をかけられたことによる心理的不安と、拘禁(とくに集団的拘禁)とによつて精神の平衡を失いがちのものであるから、かような閉鎖的社会において、被拘禁者の衛生、健康を管理し、生命身体の安全を確保し、施設の平穏を維持するためには、外部の一般社会とは異なる規律を維持する必要があることは明らかであり、このため合理的必要性の認めらる限度において、被拘禁者の権利自由が制限されることはやむを得ないところであつて、憲法の保障する基本的人権といえども、右合理的必要性の認められるかぎり、一般社会におけると異なる基準によつて制約を受ける結果となつてもやむを得ないところといわねばならない。

しかしながら、留置場内の規律を維持するための被疑者の自由の制限は、勾留目的を達するために被疑者が当然に被らねばならない自由の制約とは異なり、また、受刑者については、これを監獄の規律に服させることが、いわば、行刑本来の目的の一つとも言い得るのとも異なり、もつぱら、身柄を収容する施設が前述のような特殊な閉鎖社会であることから生ずるやむを得ない結果であつて、被疑者がいわゆる無罪の推定を受けることから考えても、留置場内の規律維持を理由とする被疑者の自由の制限は、必要最小限度にとどめねばならないことはいうまでもないところである。他面、書籍、新聞紙等を読む自由は知る自由、聞く自由とともに、憲法第二一条の保障する表現の自由を実質的に保障するために不可欠のものとして、同条の保障する自由のうちに含まれるものと解すべきところ、読書等の自由を含む表現の自由の保障は、民主主義社会を支える基本的原理として、その価値は高く評価さるべきものであり、自己が生涯において犯罪者となることのないことにつき確信をもついかなる善良な市民といえども、犯罪の嫌疑を受けることのないことにつき絶対的な確信をもち得るものではなく、外界との交通を遮断された被疑者にとつては、読書の自由は、一般社会におけるよりも、いつそう貴重な意味をもつものであることから考えれば、留置場内における被疑者の読書の自由は、できるかぎり尊重されなければならないことは当然である。しかも書籍等の文書は、凶器や騒音を発する器具等のように、直接規律違反の手段となり得るものではなく、読者の心理的影響を通じて、間接に規律違反を惹起する可能性を含むというに過ぎないものであるから、規律維持のために読書の自由を制限する必要性は、原則的には、乏しいものといわねばならない。

以上の諸点から考えれば、書籍の差入れを拒否することができるかどうかにつき留置場の管理者に広い裁量の自由を認め、その差入れが単に留置場内の規律を維持するために便宜であるとの理由により、若しくは、その思想内容が単に抽象的に留置場内の規律を害する結果を招来する可能性を否定し得ないとの理由によりその差入れを拒否し得るものと解することは相当でなく、かえつて、書籍等の文書は、その内容が読者の性的興奮を惹起するもの若しくは犯罪や自殺の実話を記載したもの等のように、留置場内の規律の維持に有害な影響を与えることが直接明らかと認められるような場合を除き、文書がその思想内容において、抽象的に留置場内の規律維持に支障を来たす可能性を否定し得ないということだけによつてその差入れを拒否することは許されないものと解すべきである。換言すれば、この種の文書の差入れを拒否することができるのは、差入れを受ける者の健康、精神状態その他差入当時における留置場内の秩序の状況等の具体的事情を考慮して、その差入れが留置場内の規律を害する結果を招来することにつき相当の具体的蓋然性が予見される場合にかぎるものと解するのが相当である。

この見地から本件の場合を考察するに、本件書籍中には被告らの指摘するとおり、留置場の管理者の立場から見れば好ましくないと認められる記載があり、証人加藤正夫の証言及び被告尾崎本人尋問の結果によれば、留置場内において数年前に集団的ハンストが行なわれた例があり、被拘禁者は一般に食事の問題については敏感で、看守においてもこの問題についてとくに神経を使つていたこと、警視庁の留置場には当時、雑居房しかなく一房あたりの定員は八名ないし一三名であり、雑居房においては差入れの書籍を他の被拘禁者が閲読する機会をまつたく封ずることは実際上困難であること等の事実をうかがうことができるが、ハンストが書籍の差入れによる影響によつて惹起されたことについてはなんらの証拠がないばかりか、本件書籍はハンストは、結論としてこれを行なうべきでない旨を指摘したものであつて、右証言及び本人尋問の結果によつても、差入れ当時の状況において、ハンストその他食事に対する不満を惹起するおそれが具体的に予見される事情にあつたとは認められずまた原告安藤の健康、精神状態が本件書籍の読書によつて直ちに影響を受けその他留置場内の秩序が直ちに動揺を来たすことが具体的に予見される状況にあつたとも認められず、かえつて右証言及び本人の供述によれば、本件書籍は、かような具体的事情とは無関係に、換言すれば、本件書籍の差入れによつて規律違反が惹起されることが具体的に予見される状況にあつたかどうかにつきなんら考慮をはらうことなく、単にその思想内容が、抽象的に、留置場の管理者の立場からみて、規律の維持上好ましくないとの判断の下にその差入れが拒否されたものと認められるので、被告尾崎が規則第一四二条に基づき本件書籍の差入れを拒否したことは違法といわねばならない。

被告らは、さらに本件書籍が監獄の規律を害すべき文書に当たらないとしても規則第一四三条にいう有益な文書と認められないので、その差入れを拒否したことは違法でないと主張するが、同条を受刑者に対する文書の差入れについて考察する場合は格別、勾留中の被疑者について考えれば、前述の基準により監獄の規律を害すべき文書と認められない文書の差入れを拒むことは表現の自由の反面としての読書の自由を合理的必要性の限度を越えて制限することとなり憲法の趣旨に反することとなるわけであるから、被疑者についていうかぎり、同条にいう有益と認める文書とは極めて広義に、換言すれば、前述の基準により監獄の規律を害すべき文書に当たらないものはすべてここにいう有益と認める文書に当たるものと解するのが相当である。従つて、同条を根拠として本件書籍の差入れを拒否することができると被告らの主張も採用できない。

以上に判断したとおり警視庁留置場の管理者が本件書籍の差入れを拒否したことは違法であり、右管理者がかような違法行為をあえてしたことは、原告安藤の基本的人権の尊重について慎重な配慮を欠いたことに基づくものとして過失の責めを免れないものというべきである。それ故、被告東京都は、その公務員である被告尾崎が違法な公権力の行使としての差入拒否処分により原告安藤に被らせた精神的苦痛を慰謝するに足りる金員を支払うべき義務があるものというべきところ、当事者間に争いのない事実に、前記加藤証人の証言及び被告尾崎本人尋問の結果並びに原告安藤、同山田各本人尋問の結果を合せ考えれば奥山恒弘が本件書籍の差入れのため警視庁に出頭したのは昭和三七年七月一〇日午前一一時頃であつて、当時原告安藤は取調べのため身柄を東京地方検察庁に送致され留置場内にはおらず同日午後五時頃に警視庁に送還され、間もなく検察官より釈放の指揮があり午後五時四五分釈放され、その間、原告安藤が留置場内において本件書籍を読む機会は事実上ほとんどなかつたこと、原告安藤は本件書籍の差入れを依頼した事実はなく、同原告となんら身分関係その他縁故関係のない原告山田が同人の所属する団体の事業として進んでこれを差し入れようとしたものであつて、原告安藤は、奥山が差入れのために現われた事実も、差入れの許否につき前認定のようないざこざがあつたことも在監中はまつたく知らなかつたことが認められるので、これらの諸点から考えれば、原告安藤が本件書籍の差入れの拒否によつて被つた精神的損害は、名目的なものに過ぎないと解され、金一、〇〇〇円をもつてこれを慰謝するに十分であると解するのが相当である。

なお、被告東京都は原告安藤の被つた精神的苦痛は極めて軽微なもので法の保護に値する程度の重要な精神上の利益が侵害されたとはいえないから、差入れの拒否行為に違法性がなく、慰謝料請求権も発生しないと主張するが、被告尾崎は、前認定のような事情から原告安藤において本件書籍を事実上読む機会がないとの理由によりその差入れを拒否したものではなく、同原告が被勾留者としての身分を有する間に、勾留中の被疑者が本件書籍を読むことを妨げる趣旨においてその差入れを拒否したものであるからこれによつて原告安藤の読書の自由に関する法益はすでに侵害されたものと解すべきであり、前述のように、読書の自由の価値が高く評価さるべきであることから考えても、差入れの拒否処分に違法性がないということはできないのみならず、これにより精神的損害がまつたく無視するに値するものということも相当とは思われないので、この点に関する被告都の主張は採用できない。

三、原告山田に対する不法行為の成否について。

前述のように、本件書籍の差入れを拒否したことが違法とされるのは、勾留中の原告安藤の読書の自由を合理的必要性の限度を越えて制限したものとして憲法第二一条の趣旨にそむくことによるものであるところ、同条は、自己の欲する書籍を他人とくに勾留中の被疑者に読ませる自由を保障したものとは解されず、刑事訴訟法第八〇条も、勾留されている被告人、被疑者に差入れを求める権利、自由を保障したものであつて、これとは別個に差入れを行なおうとする者に差入れの権利、自由を保障したものとは解されないので、かような権利、自由の保障があることを前提とする同原告の請求は理由がないことは明らかである。

四、被告尾崎の個人的責任について。

国家賠償法は国又は公共団体の機関である公務員の違法な権力作用によつて国民が被つた損害につき救済を与えようとするものであつて同法第一条が「………国又は公共団体が、これを賠償する」と定めていることから考えても、同法により国又は公共団体が賠償の責に任ずるときは職務の執行に当たつた公務員個人は原則として責任を負わず、公務員が個人として不法行為上の責任を負うのは、当該公務員に故意又は重大な過失がある場会にかぎるものと解するのが相当であるところ、前認定の事実関係によれば、被告尾崎個人に故意又は重大な過失があつたとは認められないので同被告に対する請求もまた理由がないものというべきである。

よつて、原告安藤の被告東京都に対する請求を前記金一、〇〇〇円、及びこれに対する不法行為の後である昭和三七年九月二日以降右完済に至るまで年五分の損害金の支払を求める限度で認容し、その余の原告らの請求をすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言を付することは、その必要性がないと認められるので、これを付さないこととする。

(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顕)

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